円い窓を覗く
そよぐ風は景色の香りを運び、野に咲く小花はひとときの山をもつくる
手のひらの小さな玉手箱
たなごころの内に拡がる、無限の宇宙
どんな景色を見るのだろうか
探しても見つからない
それは、小さな小さな彼方への入り口
かすかな木漏れ日がさす方へ、雫の音色が聞こえる方へ
ここは僕らの桃源郷
— この場所はアトリエ「雨 北鎌倉」。北鎌倉の風景とどこか親和性があり、シンプルで美しい響きです
ありがとうございます。純粋に私が晴れより曇りや雨が好きなんです。外に出た時の気分だったり、つい写真を撮りたくなる天気は晴れより雨模様の時。好みもありますが、青空よりも曇天のグレーの世界の方が綺麗に撮れたりするんですよね。そもそものきっかけとしては、私は基本的に植物を扱うので何か植物視点の名前を付けたいと思いました。ある時、いけばなをされてる方で雨を喜ぶと書いて「雨喜」さんという方に出会ったんですね。その瞬間、僕の中では目から鱗な感覚だったんです。雨って人間にとってはちょっと面倒だなと思われがちな存在だけど、立場を変えて植物の視点に立つと雨って喜ばしいものだなと。また雨というのは水でもあり生命の源となる根源的な印象も受けて、ブランド名としては相応しい名前になったと感じています。
— 作品群の中には『円窓 marumado』、『時山 tokiyama』、『玉手箱 tamatebako』など日本の原風景や自然を思わせる情緒のある名前が多いですね
大前提として「日本語」の存在が根底にあります。あとは漢字の字面が好きなので、作品に近い言葉を連想し、イメージを広げていきます。一番最初に作ったのが『景色風 keshikifu』という作品なのですが、香りのあるオイルを石に垂らして仄かに立ち昇る香りを楽しむシリーズです。“景色から吹いてくる風”がインスピレーションとなり、言葉だけでも作品の世界観や雰囲気がじんわり伝わってほしくてこの名前にしました。『円窓 marumado』や『玉手箱 tamatebako』など他の作品でも、日本人なら誰しもが馴染みがあったりイメージできるような言葉を使いつつ、総じて日本の雰囲気を感じられるような目線で名前は決めています。
— 詩的な作品のインスピレーションはどこから来ているのでしょうか。例えば石に香りを垂らし風で香るといったような演出はご自身で疑似体験のようなものがあるのでしょうか
根底には何かしらの疑似体験はあると思いますが、明確にこれと言えるようなものがないというのが正直なところです。ただ、最も意識をしているのは私の活動全体を覆うコンセプトである「手のひらの中に自然の景色を」という感覚。自然を軸にした日本の庭文化や盆栽、箱庭や水石など、大きな景色や世界をぎゅっと閉じ込めて室内に導き入れる概念は全ての作品に共通して入れたい要素です。
— どのような経緯で植物や花へと辿り着いたのでしょうか
元々は高校・大学と美術の学校に行って絵画を勉強していたんです。当時はそこまで日本文化に興味はありませんでした。先ほどの原体験という話だと、私の実家では毎月神社にお参りに行ったり、家の中にも神棚があるような信心深い家庭でして。元旦には毎年伊勢神宮にお参りに行くのですが、ある時なんとも言えない感覚に包まれたんですね。その感覚が忘れられず、何度も伊勢神宮へ通うようになりました。何度訪れても言葉では言い表せない不思議な感覚に包まれるんですね。と、同時にこの感覚や今目の前で見ているものこそが、日本の美意識や文化がと呼ばれるものが凝縮された“何か”なのではと、日本文化に興味を持つようになりました。まずは自分で見て触れて学ぶという視点で茶道教室に通い出し、次第に茶道の要素の1つである茶花に目がいくようになりました。その後、花道を本格的に学ぶことになります。
— 美術としての素養や知識、感覚が今の制作と紐づいている部分はありますか
僕は主に油絵を描いていたのですが、具象というより抽象に対しての興味がありました。当時から僕は沸々と内側から何かが爆発するようないわゆる芸術家気質ではなかったんですね。抽象画も遊びに近い感覚というか、キャンパスという枠の中で色を足したり引いたりしながら絵を強くしていく。例えば、高校の卒業制作の作品は、同じサイズのキャンバスにそれぞれ『白』と『WHITE』という対比される抽象画を描きました。一方で、本当は自分は何が表現したいのだろうという悩みもありましたね。でも今では扱うテーマが決まったことで、考え方や技法としての抽象画的なアプローチが活きている感覚があります。
『円窓 marumado』という作品は私が思い描く“理想の景色”がテーマなのですが、自分の中でこういう世界に入り込みたいな、という桃源郷を閉じ込めているんです。ここに川があって、ここにはこの色の花があって、と。この作品は近くで観るのではなく、引いて観た時にその世界観が最も伝わると思っています。材料は絵の具ではなく花ですが、一手一手の積み重ねと足しては引いていくアプローチはまさに絵を描く感覚そのものだと思っています。
— 抽象画から茶道へ、茶道からいけばなへ。肩書きに「花道家」とありますが、いわゆる世間一般の方がイメージする花道家とは一線を介した存在だと感じます
花道の表現自体はとても魅力的だったので続けてはいたのですが、どこまでもしっくり来ない感覚がありました。花道だとある程度綺麗な魅せ方ってあるじゃないですか。それが型と言われるものかもしれないですが。形式的なやり方ではなく、花がもっと美しく輝く、独自の表現方法があるんじゃないかとずっと考えていました。その想いがどんどんと扱う道具や作品の素材を小さくしていきました。苔も好きだったのでマクロに入っていく感覚というか、“小さな存在の中に大きな世界”を作る。日本庭園でいう枯山水的な、砂に海を見て、岩に山を見るような、思考で広がりが持てるような感覚を表現したいんです。
— 小さな存在の中に大きな世界を作るという表現は非常に印象的です
僕は美術をやってきたバックグラウンドがあるからか、そこに何かしらの意味を持たせたいんです。コンセプトというかストーリーというか、何を作るにおいても一本の筋みたいなものを据えておきたいんです。ただ美しいものはいくらでもやろうと思えばできると思いますが、僕はそれをしたくなくて。ちゃんと腑に落ちるコンセプトや想いを入れたいんですね。僕自身の想いを投影した時に、日本的な感覚や美意識に辿り着き、その感覚とは何かを具体化したものが小さいものを愛でる感覚だったりします。
— 冒頭の「雨」にまつわるお話もでしたが意味や根っこにある考え方を非常に大切に考えられているのですね
私は一貫して、「根源」を表現したいんですよね。何か意味を見出してから作りたいという性分は昔から変わらないかもしれないです。花がある景色と言えば花畑で、花畑だったらきっといろんな花が混在していて様々な香りが漂っている。自分の理想の花畑なので、じゃあこんな香りがしたら素敵だなという感覚を具現化させたものがオリジナルの香りとなり石に沁み込む。ただ単純にオイルがあるだけだと、垂らしていい香りがするというデザインで止まってしまいますが、そのオイルにも意味を持たせたい。一つ一つの要素を自分の中で腑に落ちるような解釈とその表現ができたものを作品としています。
— 深さと広さ。コンセプトとストーリー。亀井さんの作品には小さいからこそ無限の広がりを持つ豊かさを感じます
本質を大切にしたいと思いつつ、何か説明しないとわからないものは作りたくなくて。純粋に誰が見ても美しいと思っていただけるプロダクトや作品というのは大前提で、それに付随する物語や世界観を工夫するのが私らしさではないでしょうか。そして日本文化のもつ圧倒的な“儚さ”も散りばめたい。私は和菓子も大好きなのですが、まさに季節や景色など儚さをぎゅっと閉じ込めた存在ですよね。総じて「縮みの文化」とでも言うのでしょうか。ものでは表し切れない、思想としての日本の美しさを植物を通してより多くの方と分かち合いたいです。
Profile
Norihiko Kamei / 亀井 紀彦
美術作家 ・ 花道家。
1981年大阪府生まれ。
2007年東京造形大学大学院造形研究科卒業。
茶道や華道など日本文化に内在する美意識と、自然と人為の境界を漂う独自の自然観で、静謐な情景を表現した作品を制作。
近年は国内外で自身のアートプロダクトブランド「雨」を発表。2020年7月には神奈川県鎌倉市にアトリエ「雨 北鎌倉」を構える。
Website:https://www.kameinorihiko.jp/
Instagram:https://www.instagram.com/kameinorihiko
【共同企画】
株式会社 無茶苦茶(Mucha-Kucha Inc.)
"Respect and Go Beyond"をミッションに日本の総合芸術である「茶の湯」
With the mission of "Respect and Go Beyond," the company is developing an art production business that raises the spirituality and aesthetics of the tea ceremony by "reinterpreting" the comprehensive Japanese art of "chanoyu" by crossing it with various domains such as technology and street culture.