空気、あるいは気配というのだろうか
この世界の纏っている、ほとんど質量をもたない柔らかな皮膜には
確かにこの世界を構成する要素が
何か見たこともないカタチで表象することを待つでもなく漂っている
それをこの人は感じるのだろう
空(ku)に目を凝らしているようで
ただそこに身を置き、委ねる
そして表象する準備のできた微細なエッセンスのみを
手繰り寄せ 掬いとる
彼の感性を介して
この世に新たなカタチとして表出するものたちを
わたしたちはただ目の当たりにする
— デザインとアートを横断しつつも宇平さんのクリエイションからは一貫して「ミニマル」という印象を受けます
元々大学ではタイポグラフィやエディトリアルデザインの領域が専攻でしたが、当時からエミール・ルーダーやヨゼフ・ミューラー=ブロックマンなどの装飾性を排したミニマルな仕事に惹かれていました。在学中、デザインだけでなく多種多様な美術や音楽などにも触れていく中で、徐々に自分にとって「物事を本質的に思考していく」という軸が大事になっていました。さらに子どもの頃の記憶を辿ると、祖父が盆栽をしていて、祖母は書を嗜みつつ盆栽鉢を手がける鉢作家だったこともあり、余白や本質を大切に扱う美意識や感性がとても身近にある環境で育ちました。ミニマルで余白が存在するからこそ、私たちはその場に本質的な力動を託せると思うんです。

— 美しいものに囲まれることで次第に知見も感覚も蓄積されていったのですね
作品にとって美しさは大切な要素の一つだと思いますが、気をつけたい点として、私は単に作品の外見が美しいことには、全く重きを置いていません。外見が華やかで美しいものほど一度立ち止まって疑った方が良いと思っています。表層的な美しさは、内容の怖さや空虚さを隠蔽したりごまかしたりできる暴力性も持ち得るので。外見のさらに奥にある、作品や事物が持つ本質的な「美」を何とか見極めたいです。さらに重要なのは、外見や表面を軽視する訳ではなくて、表面と内側を「相互に浸透し合った関係」として捉え直すということです。

— 表面からさらに深いところの本質を突き詰める。デザイナーとしても同じような矜持があるのでしょうか
そうですね。普段のデザインに関するプロジェクトは基本的に依頼主がいて、依頼主が表現すべきコミュニケーションの実体化に向けて、視覚芸術という技術を用いながら伴走します。デザインする対象の本質的な部分をさっと掬い取って、出来るだけ純度の高い状態でそのまま差し出すような作り方が理想的です。何か印刷物を制作する際は、その肉体となる紙が本来持っているテクスチャーや色味などの「物質としての豊穣さ」を最大限感じ取って活かせるように、内容と呼応させながら造形します。紙も「生」を持つ存在として繊細に扱いたいので、あえて肉体という言葉を使いました。私の場合、実際に手を動かして作り始める前に、いかに内容のエッセンスを掬い取るかが重要です。

— デザインにおいて具体的にどういった背景やプロセスがあるのでしょうか
例えば、こちらは私が装幀を担当した『美学のプラクティス』(星野太=著、水声社)という書籍です。本書は、「崇高」「関係」「生命」という三つのテーマからなり、学問領域として絶えず宙吊りにされてきた美学の営為を問い直す、ひとつの実践の記録としてまとめられています。あとがきには、「ひとつの中間報告のようなもの」という記述もあります。私は本書の装幀にあたって、「宙吊り」「空間」「実践」という要素を抽出し、「ホワイトキューブ的な空間の中で、美学的実践としてのテクストが、宙に浮いたようにただ記録されている」という構造を目指しました。装飾的な要素は極力排することで、造形的な決定を宙吊りで曖昧な状態にし、様々なディテールを持つ白い資材と、著者のテクストが持つ精緻で誠実なテクスチャーとを同期させながら造本しています。


— なるほど。宇平さんのデザインは神社の鳥居を潜るような、思わず中を覗いてみたいと思わせる動線のデザインが非常に巧みだと感じます
神社の鳥居という表現は確かにそうですね。こちらの『Cosmos of Silence』(ORDINARY BOOKS)という私の作品集では、まさに「神社の鳥居をくぐるような感覚になりますね」というコメントを頂いたことがあります。表紙から2ページ、3ページと捲っても真っ白な画面が続くのですが、書名にある「静けさの宇宙(Cosmos of Silence)」への空間的な導入として設計しています。一方で、こうした真っ白な装いには一定の緊張感が生じますよね。背筋が伸びて清らかな気持ちになる反面、場合によってはこわばらせてしまう逆効果もあると思います。近年は、軽やかさや穏やかさのバランスも併せ持つ「やさしい緊張感」を纏えたらという気持ちです。


— 広がりを持ったデザイン論をお持ちの一方で、最近ではアートにも活動の幅を広げています
私の全ての制作において、通底している感覚をあえて端的に述べるとしたら「本質の抱擁」でしょうか。「あらゆる存在の本質を、ありのまま直に捉えて祝福したい」という感覚が基層にあります。「意味や観念から離れて、目の前の事象を直に捉える」ということは本当に難しいですし、「それは実際にはどういう経験になるのか」という問いと常に関わり続けることでもあります。物事をどう認識し経験するかということを、日々自分で揺さぶっていきたくて。そうした実践をさらに発展させたいと思った時に、自然と美術の制作にも広がりました。

— 作品では毎回1つの対象物について言及されていますね、いくつか作品の詳細を教えていただけますでしょうか

- ガラス / Glass -
光学ガラスを用いた立体作品《Optical Glass》です。ガラスを叩いて造形する際に、どう割れるかを人間が完全にはコントロールできないので、ガラスが割れたいように割れていき、不揃いで揺らぎを持った生々しいフォルムが生成されます。私は以前から「空間」それ自体に非常に魅力を感じていて。私たちが生きられるのは、空間が包んでくれているからこそ。視認できない微細な粒子が漂っていて呼吸することができたり、場の空気を読むという表現があるように、そこには読まれる情報があったりもする。ガラスは、明らかにそこに存在しているのに完全に透過しているというなかなか理解し難い存在で、言い方を変えれば、存在と非存在との間にある「中間的なもの」と捉えられるのではないかと。さらに、光学ガラスはカメラのレンズにも使用される素材ですが、自らを貫通させながら内側には周辺の像を写している。つまり、ガラスを見ているようで周辺の空間を見ているとも言えます。空間が肉体化したようにも見えてきますね。

- 肌 / Skin -
連作《Skin》では、人の皮膚が持つ繊細で複雑な肌理が高精細のグレースケール写真で表現され、実際の皮膚と見紛うほどの生々しい物質感を伴って提示されます。私は人間として肉体が与えられていて、触覚を通して何かを知覚できるということをとても大切にしています。繊細な皮膚感覚を通じて誰かや何かと触れ合えることって、本当に尊いことだと思うんです。皺や産毛などは生まれてくる時に自分で設計したわけではなく、いつの間にか存在し、自分の意思とは関係なく常に自律的に代謝し続けている。そうしたことを考えつつ、最も身近なところに宇宙的な揺らぎや奥行きを持った自然物があることに気づいたのが制作のきっかけです。

— 新しく作り出すのではなく既に存在する事物の本質を顕在化させているのですね
本質を求めていることは確かです。そういえば、こちらのメディアの名称は「cite(シテ)」ですよね。能におけるシテ方である俳優という言葉について、古事記や日本書記には俳優(わざおぎ)として記述があり、神意(わざ)を招く(おぐ)という意味だったようです。自然をはじめ人ならざる存在の声を代弁する「媒介者」としての意識が芸術の源流にはありますよね。私の制作でも、そのような意識が強いと思います。ただし、ある一つの本質や原理に到達しているように振る舞う作品は傲慢だと思うので、常に思考し続けることが重要です。

— これからさらに突き詰めていきたいことはありますか
今後は「時間の生」や「空間の生」など、これまで生を保有するとあまり捉えられてこなかった対象の生を考えてみたいです。今この瞬間にも時間が常に生成され続けていて、空間が包んでくれているからこそ、私たちはこうして存在できているということ自体が、極めて神秘的で美しいと思いませんか。また、時間や空間にも多様な感性があるはずで、私は、穏やかさや優しさを知覚できるような経験を扱っていきたいです。昨今の過剰で忙しい感性が溢れている状況に抗いたくて。もしかしたら、ほとんど物理的な形を持たないような作品形態になっていくかもしれませんね。
— 最後に、宇平さんはなぜ創作活動をしているのですか
人として心を磨き続けたいからです。私にとって制作は、これまで誰も扱ってこなかったような特殊な問いと関わり、繊細な感性と穏やかな時間によって、新たな視座や価値観を導入していこうとする行為です。微細で静かな変容を積み重ねていく行為だと言い換えてもいい。私は制作と交流を通じて、日々自らの心を磨き、生の在り方を編み直していける可能性を信じたいです。このように、私自身の「生」を全うすることと「制作」は密接に関わっています。
Profile
Goshi Uhira / 宇平 剛史

現代美術家・デザイナー。1988年福岡県福岡市生まれ。東京都立大学システムデザイン学部インダストリアルアートコース修了。人の皮膚がもつ無限の肌理を高精細のグレースケール写真で提示する連作《Skin》や、数千個のガラスの球体を用いたインスタレーション作品《Glass Balls》などを発表している。2023年にN&A Art SITEで個展「事物の生」、2021年に横浜市民ギャラリーで個展「Unknown Skin」、2020年にNADiff a/p/a/r/tで「呼吸する書物|Breathing Books」を開催。2020年に3331 Arts Chiyodaで開催された3331 Art Fairに参加し、小池一子賞を受賞。装幀を手がけた主な書籍に、星野太『美学のプラクティス』(水声社、2021年)、沢山遼『絵画の力学』(書肆侃侃房、2020年)、荒川徹『ドナルド・ジャッド』 (水声社、2019年)、横田大輔『Vertigo』(Newfave、2014年) などがある。2022年にはこれまでのアートワークとデザインワークで構成した初の作品集『Cosmos of Silence』(ORDINARY BOOKS) を出版。
https://www.instagram.com/goshiuhira/
【共同企画】
株式会社 無茶苦茶(Mucha-Kucha Inc.)
"Respect and Go Beyond"をミッションに日本の総合芸術である「茶の湯」
With the mission of "Respect and Go Beyond," the company is developing an art production business that raises the spirituality and aesthetics of the tea ceremony by "reinterpreting" the comprehensive Japanese art of "chanoyu" by crossing it with various domains such as technology and street culture.