原始の営みが感じられる、静謐な佇まい
大地のリズムが聴こえる、洗練された造形
モダンでありクラシック
対なるエッセンスが融け合う作品たちは時代を越えるだろう
理想の美しさを追い求めて
静かに燃ゆる心の火に焚き付けられたその泥だらけの手は
今日も止まることはない
— 陶芸を始めるきっかけは何だったのでしょうか
高校時代からずっと音楽をやっていました。R&Bに魅了されバンドを組み、ツアーをしたり自主レーベルも立ち上げました。自分は音楽で生きていくんだと、次のステップとして日本を飛び出しR&Bの聖地アメリカへ。しかし、現地で本物の音楽を体感すると同時に、残りの人生でどれだけ追い求めてもトップにはなれないことを痛感し、結果的に音楽で生きていくことを諦めました。人生の軸だった音楽がなくなり、次は何をしようかと模索する日々。そんな時、美術関係の仕事をする友人に連れて行ってもらったギャラリーで見かけたのが陶芸でした。元々は工芸やアートという分野には全く興味がなかったくらいなのですが、音楽という大切なピースがなくなったことでアンテナが色々な方向に向いていたのかもしれません。非常にふんわりした出会いではあるのですが、どんどん陶芸が気になる存在になっていきました。

— その後、本格的に陶芸の道へシフトチェンジされたと
陶芸を本格的に学ぶならアメリカではなく本場は日本だろうということで帰国し、陶芸教室に通いました。やってみてすぐに「これだ」という感覚はありましたね。ただ当然ですが見習い程度の僕が陶芸で働ける場所などなく、先ほどの友人に相談し紹介してもらったのが彫刻家のアシスタントでした。なので僕の陶芸人生は彫刻の仕事をしながら陶芸も学ぶ二足の草鞋スタイルでのスタート。美術的な知識は何もわからなかったですがとにかく現場に通いました。
— 通う中で彫刻家になりたいという気持ちが芽生えることはなかったですか
それはなかったですね。あくまでも陶芸をするための仕事としての彫刻、というスタンスでした。ただ、改めて見直すと彫刻のエッセンスは陶芸でも活かされていて。工程の違いはあれど、完成系を思い浮かべながら手を進めるのは同じですし、手捻りで土を積んでいきますが最終的に削ったりするのはまさに彫刻ですよね。なので僕の頭では半分は陶芸、もう半分は彫刻をしている感覚があります。

— 積み重ねては削る、足し算と引き算の工程に彫刻の考え方が引用されているのは興味深いです
ハイブリッドな感性を持って制作をしているのは特殊なのかもしれません。ただ好きという観点だと轆轤をひいている時ですね。土は天然のものなのでずっと触っていても苦にならないんです。音楽が生きがいだった頃は良くも悪くも常にたくさんの音が溢れていてザワザワした環境でした。新しい音を欲している一方で、静かになりたいと願う自分もいて。轆轤の時間はひとりの時間と空間が生まれるのが非常に心地良いんですね。心が静かになる禅のような感覚を持ちながら、素材や自分自身との対話をする貴重なひと時でもあります。
— 轆轤と禅が繋がるのはおもしろいですね、ご自身の作品にも繋がるテーマがあれば教えてください
陶芸には多様なスタイルがあり、釉薬を工夫する方もいれば、土を魅せる方もいます。僕の場合はとにかく「形」なんですよね。形が大前提としてあり、その後に他の要素が付け足されていく感じです。デザインする上でのポイントは「やりすぎない」ことでしょうか。伝統的でスタンダードなフォルムをベースに、少し手を加えることで自分らしさを出すことを心がけています。あとは「洗練さ」も意識しています。アメリカにいた時も洗練さこそが日本人が世界で勝てる部分だと感じました。キメ細かいディティールや緻密な造形。並々ならぬ手作業の積み重ねが唯一無二の作品に繋がると考えています。私が負けず嫌いという性格もありますが、他のアーティストであればここで手を止めているだろうところで、もう一手二手動かしてみる。とにかく形の良さに徹底的にこだわります。
— 理想の形を目指す上で影響を受けたモチーフなどはありますか
古代の事物には非常に惹かれるものがあります。例えば縄文土器や古代ギリシャの陶器。技術が進歩したことで良いものや綺麗なものを作ろうとすればいくらでも作れる世の中ですが「素朴なもの」は技術があるから作れるわけではないと思っています。飾り気のない自然であるがままの姿という素朴さ。どこか人の手が残っている「ゆらぎ」のある雰囲気を纏わせたいと思っています。 僕は石膏も含めて全て一から手作りなのですが、字のごとく手で作る感覚が残るような 「かっこ良すぎない姿」がある種の理想でしょうか。アートは非常に繊細なので、狙った表現をしようとすればするほど「あざとさ」が滲み出てくるものです。だからなるべくデザイン的なものにならないように、やりすぎないものづくりを念頭に置いています。
— 丸みを帯びたしなやかなフォルムや黒で描かれた○など「円(circle)」という要素も作品全体を通して感じられます
例えば先ほどの縄文というテーマであれば僕の中の縄文の1つの答えが女性的なフォルム。滑らかで少しモチッとしたイメージを形と色で表現しました。円に関しては数年前に愛犬が余命宣告を受けたことが明確なきっかけでした。円は記号的で洗練されたデザインを持ちつつも、そのシンプルさ故に全世界で様々な解釈がなされます。私にとっては唯一、大切な愛犬に向けた想いなんです。輪廻転生、何度でも生まれ変わり巡り合う。僕なりの愛犬へのメッセージを込めて描いています。

— 愛すべき存在に向けたメッセージが込められていたのですね。最近では陶芸だけでなく平面作品、例えば書でも円のモチーフが見受けられます
根本的には全く違う頭で制作しています。陶芸は考えながら手を動かす職人的な左脳でやっている感覚で、平面作品は感性のままに手を動かすアート的な右脳でやっている感覚でしょうか。僕なりには両極端を行き来してバランスをとっているイメージです。平面は思い通りにいかないんですよね。言うことを聞かない、聞かせられる技術がまだないとでも言いますか。そのアンコントローラブルな感覚をそのまま作品にぶつける衝動的な活動でもあります。

— 平面の作品を書きたくなる瞬間はありますか
展示の時でしょうか。毎回平面作品も出しているので展示が近づくにつれて制作のモチベーションが上がってきます。ただ書きたいというよりは書かないといけないという衝動に駆り立てられる感覚が強いです。例えばこれは『ひふみよ』という作品で「人生」をキャンパスに見立てています。キャンパスに円を書いていくと、どうしても無意識に綺麗に並べてしまいがちですが、それは恐怖や不安に影響され常に同じ轍を踏みがちな人生と似ていると感じました。人生は自らの意思で大小問わず何かしらのアクションを起こすことで変化が起きる。キャンバスも同じで抑揚があることで動きのある面白い絵になります。自分の人生に勇気を持って力強く点を打つ、という私自身の決意の表れでもあります。
— 音楽から陶芸、立体から平面へ。ご自身が考える「Kansai Noguchi」らしさとは何だと思いますか
それはあえて考えないようにしています。らしさを考え始めると理想や前提条件から離れられず型のある作品になってしまいそうで。陶芸家になりたての頃はテーマを込めることもありましたが、今は常に自分との対話の中で作品を創造します。評価は他人がするもの。誰かが私を陶芸家と呼べば私は陶芸家ですし、アーティストと呼べばアーティスト。自分自身が何者であるかについては立ち入らないようにしています。ただ「Kansai Noguchi」という確固たるブランドを確立することには真摯に向き合いたいです。アートは「誰が作るか」という部分が一つの評価軸になる世界なので、技術を上げるのはもちろんのこと 、作家としての世界観を作っていきたい。立体でも平面でも、はたまた違う何かでも「Kansai Noguchiだから欲しい」という領域に辿り着きたいなと。

— すでにKansai Noguchiというアーティストに我々は魅了されています
そう言っていただけるのはとても嬉しいです。作品たちが纏う世界観というのは最終的には作家の「好き」にも通じる部分が往々にしてあります。先ほども少し話しましたが、海外という外の視点から陶芸という日本美術を俯瞰して見たことで、日本人アーティストとしてどう戦っていくかということもたくさん考えました。例えば何もないところに松の木が一本生えている景色を美しいと思える感性を日本人は持っている。繊細さや洗練さという日本的な感性こそが世界で戦える感覚なのではないでしょうか。その感性に僕ならではの「好き」を加えていく。僕は自分の作品を“逆輸入感”のある存在だと思っていて。形はスタイリッシュだけど、どこかプリミティブでアフリカを思わせるようなテクスチャーが入っていたり。どこの誰が描いたか分からないような馬鹿っぽい形をした丸があったり。しかし現代アートのような雰囲気をしていたり。国や文化、時代性などの膨大な要素を集めて取捨選択をする。
全てを取り入れてしまうと何が言いたいか分からないごちゃっとしたデザインになりがちです。なので何を選択して、どのように昇華するか。僕は「選択すること」こそが作家自身のセンスなのだと思います。

— 人生にも作品にも常に意志のある選択を行い、果敢に挑戦し続ける。野口さんの強い想いが伝わる時間でした
振り返ると陶芸をするための音楽人生だったのかもしれません 。音楽と陶芸はやっていることが真逆ですよね。陶芸は見て触れられるものを生み出しますが、音楽には姿・形がありません。その一方でアートは目に見えない概念を突き詰める意志ある行為でもあります。答えのない、目に見えないものを形づくるエッセンスは何十年も音楽家として積み重ねてきた活動の延長です。越えるべきはいつでも内なる自分。自分との対話、そして意志を持って選択する人生を僕は進みたいです。なのでもし5年後、またインタビューをしていただけたなら、違うことを話している自分じゃないといけないですね。
Profile
Kansai Noguchi / 野口 寛斉

1982年 福岡出身
2013年 音楽を学ぶため渡米。
2014年 ISAMU NOGUCHIの作品に影響を受け芸術家を目指し帰国。
2015年 彫刻家の元、アシスタントとして造形を学ぶ。陶芸工房にて作陶を始める。
2016年 東京都多摩市にアトリエ「KANSAI NOGUCHI STUDIO」を構える。
2017年 「JOMON」シリーズの製作を始める。
2019年 東京都内で自身初の個展を開催する。八王子市にアトリエを移す。
2020年 版画の製作を始める。
「メヘルガル展」at VOICE (東京)
「KANSAI NOGUCHI展」at CASICA(東京)
「1000Vases」at Galerie Joseph(フランス)
2021年 愛犬との別れをきっかけにドローイング『Raincarnation』を描き始める。
「KANSAI NOGUCHI展」at 六本木ヒルズ(東京)
2022年 「SHIRONAMESHI」JAPAN project 参加
ハイアットホテル京都 フロントオブジェ製作
「KANSAI NOGUCHI展」at 会末アートギャラリー(上海)
https://www.kansainoguchistudio.com/
【共同企画】
株式会社 無茶苦茶(Mucha-Kucha Inc.)
"Respect and Go Beyond"をミッションに日本の総合芸術である「茶の湯」
With the mission of "Respect and Go Beyond," the company is developing an art production business that raises the spirituality and aesthetics of the tea ceremony by "reinterpreting" the comprehensive Japanese art of "chanoyu" by crossing it with various domains such as technology and street culture.